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東京高等裁判所 昭和51年(う)427号 判決 1976年7月16日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮五月に処する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人小屋敏一、同藤原晃連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事富田孝三作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

第一、控訴趣意第一は事実誤認を主張し、原判決は、罪となるべき事実として、被告人は、「当時前照灯を下向きにしていたのであるから、その照射距離に応じて速度を適宜調節……すべき業務上の注意義務を怠り、……漫然時速約六〇キロメートルの速度で進行した過失により」原判示佐藤秀代に傷害を負わせたものと判示したが、被告人が前照灯を下向きにして時速約六〇キロメートルで走行したとしても、被害者を前方約四〇メートルの地点で発見することができ、もし右の距離で被告人が被害者を発見していれば、時速六〇キロメートルの場合の停止距離は一般に約三二メートルであり、かつ被告人車にはラジアルタイヤが装着されていて、停止距離はこれよりもかなり短縮され、本件事故を避けることは十分可能であったということができるのであるから、被告人が前照灯を下向きにしながら時速約六〇キロメートルで走行したことをもって本件過失と認定した原判決は事実を誤認したものである、というのである。

よって、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、≪証拠省略≫を総合すれば、被告人車は本件事故の前に車体検査を受けており、制動機能、灯火等に欠陥はなかったこと、当時被告人車にはスチールラジアルタイヤが装着されていたこと、本件事故現場は平坦なアスファルト舗装路面で、乾燥していたこと、本件事故現場の交差点南角の公衆電話ボックス内には電灯が点灯していたが、他には附近に照明はなく、事故当時現場は暗い場所であったこと、被告人は事故現場へ向って、前照灯を下向きにして、時速約六〇キロメートルで進行して来たことを認めることができる。

そして、≪証拠省略≫によれば、被告人車は普通乗用自動車、ニッサンスカイライン昭和四六年型であって、被告人が昭和四七年暮ころ中古車として買い入れたものであることが認められるから、被告人車は昭和三五年一〇月一日から同四八年一一月三〇日までの間に製作されたものと推認することができる。してみれば、被告人車は、道路運送車両の保安基準五八条二項二二号、三二条二項三号により、滅光し又は照射方向を下向きに変換してそのすべてを同時に照射したときに、夜間前方三〇メートルの距離にある交通上の障害物を確認できる性能を有することを義務付けられていることとなる。そして、前記のとおり当時被告人車の灯火装置には欠陥がなかったのであるから、被告人車が前照灯を下向きにして照射した場合、夜間少なくとも前方三〇メートルの距離にある障害物を確認できたことは明らかである。

ところで、道路運送車両の保安基準は、自動車等の有すべき性能の最低基準を定めるものであって、もとより個々の自動車の性能が右保安基準を上廻ることを禁止するものではない。しかしながら、少なくとも前照灯に関して考えれば、当該車両に所有者が特殊の性能を有する装置を備え付けたなどの特別の事情がなく、かつ当該道路において外部の照明が存在するなどの事情が存しない限り、運転者は当該車両が右保安基準どおりの性能を有し、それ以上の性能を有するものではないことを前提として、これを運転しなければならないものと解するのが相当である。なぜなら、自動車の運転者(あるいは使用者)は、道路運送車両法四七条、四八条、自動車点検基準一条、二条により、各種装置の性能を点検しなければならないこととされているけれども、右点検の内容は当該装置が保安基準に適合するか否かに止まり、保安基準を上廻って如何なる性能を有するかまで点検するものではないし、その他に個々の運転者が自車の装置の具体的性能を知る機会があるとは通常考えられないところ、もし運転者が自車の性能に関するほしいままな臆測のもとに行動できるものとすれば、道路交通の安全上甚だ危険なものと言わざるをえないからである(現に、被告人は原審第三回公判廷では、「前照灯を下向きにした場合前方三〇メートルくらいまで見通せる。」と答え、原審第五回公判廷では、「前照灯を下向きにして照射した場合、五〇メートルないし六〇メートル前方まで見える。」と答え、自車の前照灯の性能に対する判断が不確実であることを如実に示している。)。してみれば、前記のような特殊な事情の認められない本件において、被告人は、自車の前照灯を下向きにして進行する場合、前方三〇メートルを超える距離にある障害物を確認できないことを前提として、自車の速度を調節すべき注意義務を負っていたものと解するのが相当である。

そこで、さらに制動距離について考察すると、道路運送車両の保安基準一二条一項によれば、最高速度八〇キロメートル毎時以上の自動車(被告人車もここに含まれるものと推認される。)にあっては、主制動装置は、乾燥した平坦な舗装路面で、制動初速度五〇キロメートル毎時のとき、停止距離は二二メートル以下でなければならないものとされている。所論は、被告人車は、当時、時速六〇キロメートルで進行していたのであるから、その停止距離は、一般には約三二メートルであるという。この数値は、前記保安基準その他一般に知られた速度と停止距離に関する経験則に照らし、おおむね肯認することができる。

所論は、被告人運転車両は、当時ラジアルタイヤを装置していたから、停止距離は前記数値よりもかなり短縮されるという。当審で取り調べた「一般タイヤとラジアルタイヤ(性能比較)」と題する資料によれば、通常のタイヤ(バイヤスタイヤ)に比較して乾燥した路面において、スチールラジアルタイヤの場合は約一五パーセント制動距離が短縮される性能を有するものと一般にいわれていることが認められる。ところで、タイヤの種類によって停止距離が短縮されるのは狭義の制動距離(車輪が停止して後、自動車が路面を滑走する距離)に限られ、空走距離に影響を及ぼすものでないことは明らかであるから、今、狭義の制動距離につき、制動初速度六〇キロメートルの場合、スチールラジアルタイヤを装着することによって短縮される距離は、前記の停止距離の数値に照らして、ほぼ三メートル前後であると推定することができる。そして、被告人車にはスチールラジアルタイヤが装着されていたのであるから、制動初速度六〇キロメートル毎時の被告人車の停止距離は、所論主張の通常のタイヤを装着した場合の停止距離の数値に照らして、三メートル前後短縮され、ほぼ二九メートルと推定することができる。

以上の考察を前提として、乾燥した平坦な舗装路面である本件現場において、被告人が自車の前照灯を下向きにして時速約六〇キロメートルで走行したことが過失としてとらえられるべきであるか否かについて検討する。前記のとおり、特殊の事情のない限り、運転者は、前照灯を下向きにしながら時速約六〇キロメートルで走行する場合、三〇メートルを超える前方にある障害物を確認することはできないことを前提として、速度を調節すべき注意義務があるところ、スチールラジアルタイヤを装着すれば、運転者が危険を感じてから停止するまで約二九メートルを要するのであるから、運転者が前方注視を厳にし、障害物を約三〇メートル前方に発見して直ちに制動の措置を講ずれば、その直前において停止し、これとの衝突を回避することが不可能であるとはいえない。しかしながら、運転者は絶えず前方注視義務を十分に果すことが理想であっても、長い運転時間中に一瞬前方注視を怠ることもありえないとは言えず、あるいは前方注視義務を十分に果していても急制動の措置を講ずることに一瞬の遅れを生ずることもないわけではなく(たとえば本件の場合、≪証拠省略≫によれば、被告人が危険を感じた地点とスリップ痕の始点との間の距離が一六・二メートルもあり、制動初速度六〇キロメートル毎時の被告人車としては、空走時間が約一秒もあったことになり、このことは、被告人のブレーキの踏み方が遅かったことを示している。)、さらに運転者がその注意義務を果そうとしても外部的事情により義務の履行が困難となる(たとえば本件の場合、≪証拠省略≫によれば、被告人車と被害者の間を横断する車両があったことが認められる。)ことがありうることを考えると、運転者としては、車両の性能と義務の履行につき限界すれすれの条件を設定して行動すべきではなく、若干の余裕を見て不測の事態にも対処できるような状況の下で運転をすべき業務上の注意義務があるといわなければならない(東京高等裁判所昭和四二年四月三日判決、東京高裁時報一八巻四号一一〇九頁参照)。このように考えると、本件の場合、前照灯を下向きにして時速約六〇キロメートルで走行することは、主観的事情および客観的事情がすべて順調に進行することを前提としており、その条件のいずれかが崩れた場合の配慮が欠けているものであって、前方約三〇メートルの障害物の発見が瞬時遅れた場合はもとより、そうでなくても急制動の措置を講ずることに一瞬の遅れを生じた場合にも、これと衝突の危険がないとはいえない状況にあったものと認められ、とくに進路前方に交差点および横断歩道が存在する本件場所の地理的条件のもとで安全な運転をはかるについて、注意義務に欠けるところがあったものといわなければならない。

してみると、被告人が前照灯を下向きにしながら時速約六〇キロメートルで走行した点においても、被告人には過失がなかったものとはいえない。そして、被告人自身も、被告人の司法巡査に対する供述調書および当審公判廷において、本件事故の原因は前方注視の不十分と速度の出し過ぎであることを認めているのみならず、原判決挙示の証拠を総合すれば、被告人が前照灯を下向きにしながら時速約六〇キロメートルの速度で進行し、しかも前方に対する十分な注視を欠いた過失により、本件事故を惹起したものであることが明らかに認められ、これと同趣旨に出た原判決に所論の事実誤認はない。論旨は理由がない。

第二、控訴趣意第二は量刑不当を主張し、犯情に照らして、被告人に対してはその刑の執行を猶予すべきであるというのである。

よって、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、本件の事実関係は原判決が認定判示するとおり、被告人が昭和四九年一二月三〇日午後六時ころ、普通乗用自動車を運転して、朝霞市大字溝沼地内の道路を川越街道方向に向い前照灯を下向きにしたまま時速約六〇キロメートルで進行中、前照灯の照射距離に応じて速度を調節する義務ならびに進路前方に横断歩道があるのに前方を十分に注視して、歩行者の有無、動静を確認すべき義務を怠ったため、右横断歩道上を左方より右方へ横断歩行中の三六歳の女性の発見が遅れ、同女に約二二メートルに迫って始めてその姿を発見し、急制動したが間にあわないで、同女に自車を衝突させ、同女に加療約一年四月を要する右下腿腓骨骨折などの傷害を負わせたというものである。関係証拠によれば、被害者は夫のあとから横断歩道を渡り始めたものであって、いきなり飛び出すなどの突飛な行動に出た形跡は窺われないこと、被害者の負傷の程度が重く、膝関節拘縮の症状が残存し、現在なお膝を折り曲げる時痛みを感じ、駈歩ができないなどの状況にあること、被告人は昭和三七年に業務上過失致死罪で一回(ダンプカー運転手として、最大積載量をはるかに超える砂利を積載して運転中、小走りの横断歩行者を死亡させた事案)、同三九年に業務上過失傷害罪で二回(うち一回は、追い越し車両に気をとられ、前方に駐車中の車両の発見が遅れ、これに追突して、二名を傷害した事案)、同四五年に業務上過失傷害罪で一回(考えごとをしながら運転し、右折のため停車中の車両に自車を追突させて、これを押し出し、対向車と衝突させて、三名を傷害した事案)、それぞれ罰金刑に処せられたほか、道路交通法違反の罰金刑の前科三犯もあり、その運転態度は慎重とは到底言えないこと、本件事故後も被告人はなお毎日自動車の運転を続けていたことなどの事情がうかがわれ、被告人の刑事責任は決して軽々しく考えることはできないものがある。

してみると、本件は酒酔い、無免許等を伴う事案ではないこと、原審当時被害者との間に一〇〇万円(自動車損害賠償責任保険および被害者を被保険者とする労働者災害補償保険の各給付を除く。)を支払うことで示談を遂げたこと、被告人の経営する企業および被告人の家庭の事情その他所論指摘の被告人に有利な諸事情をできる限り斟酌するとしても、被告人に対し禁錮七月(求刑禁錮一〇月)を科した原判決の量刑は、その宣告当時においては相当であって、決して重きに失して不当であるということはできない。

しかしながら、当審における事実取調の結果によれば、当審に至って被告人は被害者との間において追加して示談を遂げ、被告人は被害者にさらに七二万円を支払うことを約し、被害者より被告人の寛大な処分を希望する旨の上申書が提出されたこと、当審に至って被告人は今後自動車の運転を一切しない旨決意するに至ったことなどの事情がうかがわれ、これらの事情に照らすと、本件は刑の執行を猶予すべき事案であるとは認められないけれども、原判決の量刑は現段階においては重きに失して不当であると考えられる。所論はこの限度で理由があり、原判決は破棄を免れない。

よって、刑事訴訟法三九七条二項、三八一条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において、さらに自ら次のとおり判決する。

原判決が確定した事実に原判決が適用した法令を適用し、所定刑中禁錮刑を選択のうえ、前記情状を考慮して、被告人を禁錮五月に処し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、全部被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 綿引紳郎 裁判官 石橋浩二 藤野豊)

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